心地よい カフェジャズを聴きながら休憩ください。 Please take a rest having cozy cafe jazz music .

心地よいカフェジャズを聴きながら休憩してください。

先週、春近き京都散策をしてきました。

散策中に読んだ、養老孟司「京都の壁」: 第4章都市論と京都… 論語と都市理論の一部を抜粋しています。

日本人は気がついていないのですが、中国は3千年前から都市社会です。だから『論語』は都市の理論です。そういうふうに論語を解釈する人はいないけれど、私(養老孟司)はそう解釈しています。
論語の「子、怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず」というのは、自然のことは語らないという意味です。どうして雷が鳴るのかと聞かれて、孔子は返事をしなかった。当たり前です。当時の知識ではわかっていなかったのですから。「死ぬってどういうことですか?」と聞かれたら、「我、いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」と。「生きるということもわかっていないのに、どうして死についてわかるだろうか」と返事をするのです。
生老病死は人間が抱えている自然のなりゆきですから、その自然について、孔子は言及しません。そのかわり、「親が死んだら三年喪に服せ」と言うのです。これは自然のなりゆきではなく、人間の決めたルールだから実行できます。
自然に依存しないで生きていけると思っている人たちは、人間のルールで社会をまわしていこうとします。それをきちんと規定しているのが『論語』なのです。

----人間の決めたルールだから実行 人間のルールで社会をまわしていこう、現代もまだルール、ルール依存でいいのか?と、散策中に教えられた。

私(養老孟司)が不思議に思うのは、『史記列伝』のいちばん最初に出てくる話です。周が殷(いん)を滅ぼそうとしますが、これは要するに覇道ですから、道徳的には許されません。それで伯夷(はくい)と叔斉(しゆくせい)の兄弟が武王を諫める。結局、周朝になって兄弟は首陽山で隠遁(いんとん)生活を送り、ワラビを食べて生活するけれど、最後は餓死したというのです。司馬遷の『史記』の冒頭です。

----周が殷(いん)を滅ぼそうとしますが、これは要するに覇道ですから、道徳的には許されませんトランプの決めたルールだから実行 トランプのルールで社会をまわしていこう、イラン攻撃は覇道(覇者が武力や権謀によって天下を支配する政治のやり方,王道)だと、散策中に教えられた。

 

不思議なのは、なぜ山に隠遁してサバイバルできないのか。都会の人が山に行ったら暮らせないということです。戦後の食糧難の時期などを考えたら、田舎なら食べられるでしょうと思うわけです。つまり、中国はもう古くから都市社会になっていたのです。司馬遷は都会の人です。色紙を書く機会があると、私(養老孟司)はよく「山中閑居」と書きます。これは李白の『山中問答』にちなんだものです。

李白が田舎の山の中に行ったら、ふとそこに別の天地があると気づく。普通、田舎に行ったら、天地があるのは当たり前。  でも、当時の常識では、天地は長安だったのです。長安が世界のすベてだと。そこで「別有天地非人間」と。人間(じんかん)にあらずというのは、世間ではないという意味です。唐の時代には、もう自然という言葉すらなかったのです。----唐の時代には、もう自然という言葉すらなかった。散策中に”なにか”教えられた。