「Why live with a hazard if we do have to? 危険とともに生きるって、意味があるの?」
問いかけ、「Why live with a hazard if we do have to? 危険とともに生きるって、意味があるの?」は、私たちが生きる上で常に直面するテーマです。責任と自由、進歩と後退、安全とリスクといった基本的な価値観の対立がテーマです。


「危険は排除すべきものだ」
Table of Contents(コンテンツ目次)
「危険とともに生きるって、意味があるの」これは表面的には「危険は排除すべきものだ」という、至極当然な安全志向・思考を確認する問いかけです。現代社会は、科学技術の発展と合理的な制度設計によって、高いレベルの安全性を享受できるようになっています。
例えば、医療の進歩は病気というハザード(病気を引き起こす病原体(ウイルス、細菌など)や、健康を害する病状そのもの)を抑え込み、防災・減災技術は自然災害の脅威を軽減し、交通インフラの改善は事故のリスクを低くしています。もし技術や知識によって特定のハザードを完全に除去できるならば、完全除去することが最善だという考えは、人間が抱く本能的な自己保存の欲求に基づいています。
しかし、この問いかけが突きつける「意味」という言葉には、単なる安全性の追求だけでは割り切れない、複雑な人間生活を含んでいます。
| Note:
*志向と思考 |
志向 | 思考 |
| 意味 | 心がある目的に向かうこと、~を目指すこと | 考えを巡らせること、筋道を立てて考えること |
| 焦点 | 行動の方向性や目標 | 考えるプロセスや精神的活動 |
| 例 | 「上昇志向」「未来志向」 | 「システム思考」「論理的思考」 |
さて本論です。
-
「ハザードのない世界」の幻想
まず、私たちは「ハザード(危険要因)」のない世界というものが、現実的に存在するのかどうかを考えなければなりません。
例えば、家の中にいれば飛行物体などの落下を除き、交通事故のハザードは回避できますが、運動不足による健康リスク、社会的な孤立、あるいは火災や地震といった別のハザードには直面しています。最新の安全基準を満足した自動車に乗れば事故のリスクは減りますが、それでもハザードはゼロではありません。また、完全な安全性を追求することは、しばしば「自由さ」の制約を伴います。例えば、テロの脅威を完全に排除しようとすれば、移動の自由、表現の自由、プライバシーなどの自由が犠牲になる可能性があります。
ここで重要なのは、「ハザード」は単なる脅威ではなく、しばしば「リターン(利益・恩恵)」と表裏一体であるという点です。コインの裏表的な考え方です。一般的に知られている危険性が把握・管理されリスクが明確に認識されている領域を超え、まだ表面に出ていない隠れた危険や予測不能なハザードに直面する可能性がある未知の領域へ踏み込まない限り科学の進歩はあり得ません。大航海時代、宇宙開発、新たな治療法の開発など進歩は、常に高いリスクを冒すことによって達成されてきました。そのチャレンジはリスクを冒すが常にリスクアセスメントを実施しています。
ロケットを発射するときのリスクアセスメントの記事をBaker Riskのウェブから引用
世界は宇宙技術の新たな拡大の真っ最中です。先進的な衛星、再利用可能なロケット、その他の航空宇宙ソリューションは、航空宇宙科学、宇宙探査、地球を越えた潜在的な商業に新たな焦点を当てていることを示しています。多くの企業が、ロケット、衛星通信、その他の製品を設計することで、この成長産業を活用したいと考えています。
新たな宇宙開発競争に参加したいのであれば、開発、試験、打ち上げを通じて施設の資産、インフラストラクチャ、作業現場の従業員の安全を保つ方法を知る必要があります。航空宇宙産業におけるリスク管理は、他の産業と同様に重要です。
航空宇宙リスク管理の重要な要素
航空宇宙のリスク管理は、一度限りのタスクや目標ではありません。これは周期的で継続的なプロセスであり、以下が含まれます。
施設に対する潜在的および起こり得るリスクの特定、インフラストラクチャ、設備、および人々 プロセスハザード分析 (PHA)
特定されたリスクに関連する考えられる原因要因の評価
コントロールとリスク管理の実践を通じて、リスク発生の確率を積極的に低減します。
リスクを許容可能なレベルまで軽減する.”
成長と達成感: スポーツ、芸術、起業など、人生のあらゆる領域において、私たちはあえて挑戦的な状況(ハザード)に身を置くことで、自己の能力を最大限に引き出し、成長し、大きな達成感を得ます。登山家が命の危険を冒してまで山頂を目指すのは、その行為そのものが自己の存在意義を問い、充実感をもたらすからです。
「危険とともに生きる」ことは、「成長の機会とともに生きる」ことの裏返しであると言えます。
-
リスクとレジリエンス(回復力)
「危険とともに生きる」ことの「意味」は、単に危険を受け入れるのではなく、危険を認識し、それに対処し、そこから学ぶ能力、すなわち「レジリエンス(回復力)」を育むことです。
あらゆるハザードをゼロにしようとすることは、「ハザード(危険要因)」のない世界というものが、現実的に存在しないので、不可能を可能にしようとすることは社会や個人から「失敗の経験」と「立ち直る力」を奪い去る可能性があります。
危機管理能力の醸成: 自然災害の多い国では、人々は過去の災害から学び、常に備えを怠らず、共同体の中で助け合う知恵を身につけます。ハザードを完全に排除できたと豪語する人々は、予期せぬ事態に直面した時、かえって脆弱になる可能性があります。
現実との向き合い: 危険を無視したり、過度に恐れたりするのではなく、現実として存在するものとして受け入れ、冷静に評価し、備える心構えは、個人と社会に必要です。物理的な危険、経済的な危険、人間関係の軋轢、精神的な危険、それらからのストレスといったような、~~ハラといった社会特有のハザードにも言えます。
危険と共存できれること、それは危険に対して「鈍感になることではなく、賢く敏感になること」を意味します。
結論:危険はハザード&リスクから脱出の調味料
「Why live with a hazard if we do have to? 危険とともに生きるって、意味があるの?」
この問いへの答えは、「あります」でも「危険そのものを受け入れること」ではありません。しかし、「完全にハザードを排除しハザードゼロにしようとすると、自由、成長、進歩といった、人にとって大切な価値までも排除してしまう可能性があるということです。
危険とともに生きる「意味」
以下の3点に集約されます。
- 挑戦と成長の機会: リスクを伴う挑戦を通じて、私たちは自己の限界を超え、人生を豊かにする経験を得る。
- レジリエンスの涵養: 危険を認識し、対処する過程で、個人と社会の回復力と危機管理能力が鍛えられる。
- 現実と自由の受容: 完全な安全は幻想であり、その追求は自由を圧迫する。私たちは、不確実な世界をありのままに受け入れ、その中で自律的に行動する自由を選択している。
危険は、人生を無味乾燥なものにしないための「調味料」のようなものです。適切な量であれば、人生に深みと刺激を与え、私たちをより強く、より賢く、そしてより感謝の念を持つ存在へと進化させるのです。だからこそ、私たちは、回避可能な危険は排除しつつも、ゼロにできない危険とは「賢く」共存する道を選ぶことに、深い意味を見出していると言えるでしょう。
参考:
日本における「危険とともに生きる」:
日本は、世界有数の地震、津波、台風、火山活動といった自然のハザードに囲まれて暮らしています。この日本において、「危険とともに生きる」ことには、深い文化的・哲学的な意味合いがあります。
無常観と諦観: 仏教的な無常観は、自然の力や人生の出来事が常に変化し、思い通りにならないことを受け入れる精神性を育み、自然災害という巨大なハザードに対して、人間は完全に支配することはできないという「あきらめ」の精神は、時に「受け入れ、共に生きる」という共生の知恵につながります。


