#2 哲学思考事始 「諸行無常元年」宣言

哲学思考事始 for 2026:
「疑う」勇気と、砂上に建てる「個の
楼閣」

「疑う」勇気と、砂上に建てる「個の楼閣」の意味することは、既存の価値観やシステムに疑問を持ち、価値やシステムに依存しないで、自分自身の足で立ち上がる個としての城を構築する。一言でいえば、「精神的な自立」と「実存的な孤独」を表現しています。

追記リンクを使って「疑う」勇気と、砂上に建てる「個の楼閣」の意味することを説明しています。

 

人に魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ(Give a man a fish and you feed him for a day; teach a man to fish and you feed him for a lifetime)」という有名な格言の考え方で、目先の解決策(魚)ではなく、自ら問題を解決し、生涯にわたって生きていくための根本的な力(釣り方)を教えることの重要性を説いています。これは老子の格言『授人以魚 不如授人以漁((ショウ レン イー イュー、プー ルー ショウ レン イー イュー))』に由来し、教育や支援の本質を表しており、単に答えを与えるのではなく、思考力や応用力を育むことの大切さですね。下はイメージです。

 

さて本論です。

  1. デカルトの「全画面キャッシュクリア」

より実践的な思考の武器を手にしてみましょう。

諸行無常(しょぎょうむじょう)を知ってその後に突き当たる壁は、「じゃあ、どう考え何を信じて進めばいいの?」という問いです。ここで登場するのが、近代哲学のスター、「我思う、ゆえに、我あり」のルネ・デカルトです

デカルトは、数学者でもあり「絶対に間違いない基礎」の上に知識を積み上げたいと考えました。そこで彼が行ったのが、有名な「方法的懐疑」です。これは、少しでも疑わしいものは一旦「偽」としてゴミ箱に入れるという、ちょっとやりすぎな思考実験です。

  • 「自分の肉体は本当にあるのか?(夢を見ているだけではないか?)」
  • 「数学の正解(2+3=5)さえ、悪い悪魔が私を騙しているのではないか?」

そうやってすべてを疑わしいと消去していったとき、最後にどうしても消せなかったファイル、は「今、こうして疑っている私の意識そのもの」でした。これが「我思う、ゆえに我あり」です。

2026年は、デカルトほど極端になる必要はありません(と、われ思う)が、「常識のキャッシュクリア」は不可欠です。SNSで流布してくる「幸福の定義」や、テレビが煽る「将来の不安」は、本当にあなたのファイルですか?それとも、誰かに勝手にダウンロードされたプログラムですか?

Note: 「キャッシュクリア」(このノートではキャッシュを「脳の記憶」と置き換えください):キャッシュはデータを一時的に保存して一度訪問したページ・データの読み込み時間を短縮したり、データ通信量を抑えたりする役割を持っています。でも、いつの間にかデバイス上にデータが蓄積されてしまい、ストレージを圧迫しスマホやPCの挙動に負荷をかけます。

動作が重い、空き領域が足りないと感じたら、定期的にキャッシュクリアを行う、これが「キャッシュクリア」です。

保存している脳内のデータ(キャッシュ)を削除すると、脳(ブラウザやアプリ)は高速化します。溜まりすぎたキャッシュを消し去って業務活動の作動改善や業務負担の軽減によりresourcesのストレージの容量(空き容量)確保をすることが出来ます。チームメンバーのキャッシュは日ごとに古い情報となり、それが表示されると活動が遅く、動きが重い、オールドメディアで活動しようとする。また削除後は再読み込みされるときもあり一時的に表示が遅くなるデメリットもありますが、新しいログイン情報(ニューメディア)を生成しだします。

  1. ニーチェの「価値の転換」:

ラクダから獅子へ

デカルトが「認識の基礎」を作ったなら、フリードリヒ・ニーチェは「生きる価値の基準」を爆破しました。この「爆破する」という表現は、伝統的な道徳や価値観の根本的な批判と変革を意味する比喩的な表現です。これは、ニーチェの主要な思想である「価値の再評価(価値の転倒):既存の道徳的・普遍的な価値観を根本から問い直し、新しい価値を創造すること」と深く関連しています。

ニーチェがまだ小学校に通っていた頃の逸話があります。

“ 帰りににわか雨が降ってきた。子供たちは傘がなく、走って帰って来た。にも拘わらずニーチェはひとり雨の中を頭にハンカチを載せて歩いて帰って来たという。心配して途中まで来ていた母が「何故、走ってこないのか」と怒ったところ、ニーチェは「校則に帰りは走らず静かに帰れと書いてあるから」と述べたという。このエピソードは、ニーチェという人物の生真面目さと結び付けられてよく語られています。 ”

ニーチェは、現代人が陥る「ニヒリズム(虚無(きょむ)主義)」を予見していました。すべてが移ろい、神も絶対的な真理もいない世界(諸行無常の世界)で、人は「どうせ何をやっても無駄だ」という無気力に陥りやすい。ニヒリズムは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場のこと。

彼はこれを打破するために、精神の三段変化を説きました。

  1. ラクダの段階: 社会の道徳や「汝なすべき」という重荷を黙々と背負う段階。
  2. 獅子の段階: 重荷を拒絶し、「我は欲する」と叫び、古い価値観を打ち砕く段階。
  3. 赤子の段階: 遊びのように、無垢な心で、自ら新しい価値を創造し続ける段階。

諸行無常を「虚しい」と感じているうちは、まだラクダか。せいぜい獅子の入り口。
2026年は「世が移ろいゆくこの瞬間に新しいゲームのルールを作り、新しい価値を創造し続ける段階に存在する赤子の境地なんですね。

  1. 「アンガーマネジメント」としての実存主義

ここで現代的な例を挙げましょう。例えば、あなたがSNSで誹謗中傷を受けたり、理不尽な評価をされたりしたとします。

  • 普通の反応: 傷つき、相手を憎み、自分の価値を疑う(外部の価値観に依存)。
  • 哲学的思考: この怒りを感じている『私』は実在するが、相手の言葉も、SNSというプラットフォームも、一時の現象(諸行無常)に過ぎない。この現象に『不快』というタグを付けているのは自分だ。『思考の筋トレ』にタグ付けしよう。

これはサルトルの言う「実存は本質に先立つ」という考え方に通じます。「実存は本質に先立つ」とは、人間は生まれながらに決まった目的(本質)を持っているのではなく、まずこの世界に存在(実存)し、その後の自由な選択と行動によって自分自身の本質や生きる意味を創造していく、という実存主義の根本原理。

ペンには「書く」という目的(本質)が最初にありますペンは剣よりも強しは、「独立した報道機関などの思考・言論・著述・情報の伝達、個人の熟慮したコンテンツの伝達も、直接的な暴力よりも人々に影響力があるが、決まった目的があるでしょうか?

まずこの世に投げ出され(実存)、その後に自分で自分を定義していく。その過程を知らせ、ともに世の中を定義して発信していく、

「諸行無常」という波の中で、あなたはどんな船を造り、どこへ向かうのか。その舵取り(自由)こそが、哲学が私たちに与えてくれるご褒美なのでしょう。

結び:2026年を「意味の創造主」として生きる

第1回、第2回を通して見てきたのは、「変化を受け入れ(無常)、前提を疑い(デカルト)、自ら価値を創る(ニーチェ)」という一連のプロセスです。

「諸行無常」は、私たちに思いやりの重要性を感じさせてくれました。諸行無常ってすべてを奪い去るものではありませんでした。むしろ、諸行無常は#古い皮(オールドメディア)を脱ぎ捨て、ニューメディアを生み続け新しく生まれ変わる新しい諸行無常の世つくり出せ“と伝えている、教えている感がします。

2026年、もはや「世の中の流れ」に翻弄される木の葉でもうたかたでもありません。流れそのものを観察し、その中で華麗にサーフィンを楽しむ哲学的サーファーなのではないかと、………………….

 

さ~~

て、この「哲学の航海」をさらに進める準備はできました、ブログ(#3)では、この自由を手に入れたのち、「他者という名の、最も理解不能な迷宮」にどう立ち向かうべきか。対人関係や愛があります、それらについて哲学的思考を深掘りしていこうと思います。

しばらく、
今日一日、何かいいことがあっても、何か嫌なことがあっても、「これは諸行無常の一部だな」と思い唱えてみてください。その出来事にデカルト的な疑いの目を向け、ニーチェ的な新しい意味付けを試みてください。